サークルの方針を変更します
最近めっきり更新が滞っており、弊サークルをご存じの方々に置かれましては
「頑張るのは最初だけのクソサークルだったな調子乗んな猿怪人(さるかいじん)が」
「一時のテンションに身を委ねてんじゃないよこの駄野獣(だやじゅう)が」
「こんなクソサイト表示するために画素を使わすな汚泥星(おでっせい)が」
など、厳しいご意見をお持ちになっていることと思います。
この体たらく。もちろん私も危機感を持っております。
このままいけばこのサークルはどんどん埃をかぶっていき、次第に皆さんに忘れられ、私は「人が心に秘めていた作品を、無理やり、ぶっきらぼうに、ごつごつとした両の手で何の罪もない創作者からひったくり、そのうえ偉そうに長々と考察という名の駄文を垂れ流すという常軌を逸した活動を繰り返して、挙句の果てに突然飽きて全部やめたインモラル魔王」のレッテルを張られることでしょう。あんまりです。
実のところ、熱意は衰えていません。それなりに需要がある活動だと思っているし、何度かやってみて反応も悪くなかったし、一定量の文章を定期的に書くための理由ができて自分のスキルアップにもつながるしで、いいことづくめです。
ではなぜ更新ができなかったのか。理由は一つ。
応募がなかったからです。
文芸サークルの活動なのに肝心の文芸作品がないのでは仕方がありません。
私は完全に無罪だったのです。悪いのはそっちだったのです。
しかし、過ぎたことを責めても何も変わりません。私は人間ができているので、すでに未来を見据えて解決策を一つ考えております。大丈夫。安心して。誰にでも失敗はあるよ。
この度未完文芸サークルは運営方針を変更します。
今までの方針では、完結していないもの(もしくは作品が完結しないことを書いたもの)に限って、作品を募集していましたが、今回その制限を取り払います。
オリジナル・未発表の作品であれば、いかなるテーマであっても、また、本人の中では完結したつもりであっても、また、もはや文芸作品と呼んでいいものか困るようなものであっても、どんな作品であっても必ず目を通し、必ずコメントをつけて、必ず掲載します。
作ったはいいけど人目に触れないままになっている作品がある方は、ぜひご一報ください。
Twitter→@mikanbungei
g-mail→mikanbungei@gmail.com
経緯(ここから先は読まなくてもいいです)
応募が全く無くなってから、私はすこしだけ落ち込みました。
(やっぱり需要なんてなかったのかな。)
(そもそも途中まで書いてた小説なんてわざわざ保存しとかないよな。)
(妄想だけで先走っちゃったな。)
(私は妄想だけで先走る変態です……。)
ひとりごちながら夕焼けの下を歩き、注意力が散漫になっていたのか帰り道を致命的に間違えて奈良へ向かって歩み始めたまさにその時のことです。
携帯を見ると1通のメールが届いていました。
(正確には231通のメールが届いていましたが、219通は知らない人からで、11通は何かのメルマガだったので、便宜上1通とします。)
未完文芸のアドレスに届いたそのメールは、待ち望んでいた作品の応募メールでした。
しかし、その作品はルール上掲載できませんでした。
内容は伏せますが、作者本人による、人に言えないような「とある失敗」を、面白おかしく臨場感たっぷりに描いた素敵な私小説です。
「これは、いい!」
知らない公園の小さなブランコに腰を下ろして作品を読みながら、口に出して言いました。足元のハトが小さく逃げます。
どうやって考察しようかと考えていると、文末のコメントが目に入りました。
「未完というよりは内容が内容のため誰にも見せれなかった作品です。」
未完というよりは。
う~~~~~~~~~~~~~ん。
本人が未完じゃないって言ってるのはなあ~~~~~~~~~~~~~~。
内容はいいんだけど、そうか、まあ終わりもそんなに不自然じゃないよな~~~~~~~~~~~~~。
テーマを曲げるのはマズイような気がして、作者の方にお断りの連絡を入れて、掲載を見送らせていただくことにしました。
確かに本人はこれ以上何かを書き足したりするつもりはなさそうではあります。
しかし、どうにもやるせない気持ちになってしまいました。
どうにかできないかとこれまでの活動について考えます。
このブログは
・匿名、HNで投稿できる
・ある程度の人の目に触れる
・少なくとも一人、感想を書いてくれる人がいる
という特性を持っています。
これって、小説を書くのは好きだけど書いてるのがばれるのは恥ずかしいという方々にとって、結構いい条件なのではないでしょうか。
例えば作者が「ここで終わりだ」と思って恋人たちの明るい未来を予感させて終わらせたとしても、恋人たちにはこの後明るい未来があるはずで、もっと言えば彼らの子供たちや孫たちにも物語はあるはずだし、やがてそれらのすべてが朽ち果てたとしても世界は続くのですから、真の意味で完結させようと思えば宇宙ごと消すしかなくなってしまいます。
反対に、未完で終わったとされている作品のおしりを読んだときに、それまでの盛り上がりからすると確かに物足りなさは残るのですが、そもそも小説とか漫画のような芸術というのは、ある一人ないしは複数人の生きる世界の時間軸から、ある期間を切り取って提示する作業なので、作者の事情を無視すれば、完結したとされる作品のおしりと比べても、完成度以外の違いは何もないことになります。
作者は作品をどこかに出そうとする場合、最も素晴らしい終わらせ方を吟味しなければなりません。
ここまで書いたらやりすぎかな。でもここまで書かないと分かりにくいかな。
人に見せて評価されるのだと思うと、なかなかゴールテープが切れません。
小説を書くのが趣味だと言っている人の多くは、添削とか吟味とかいう概念が世界一キライな種族です。「高まってる」ときに好きなだけ書いて、それで終わりなのです。
「この終わり方でいいのか正直わかんねえけどとりあえずひと段落したから完成ってことにしといてくれや」の人々の作品は、これまでのルールでは拾い上げることができませんでした。
だから、未完の範囲を広げます。
「まだ人に見せていない作品」を未完という言葉の範囲にふくめます。
誰の目にも触れていない作品って、完結していないも同然じゃないでしょうか。
この説についてTwitter上では
作品の完成とは
— 大阪大学未完文芸サークル (@mikanbungei) 2019年6月26日
「うーん、まあ、よくわかんないけどそういう考え方もあるかもね」的な評価をいただいております。
(もちろん、毎日コツコツ書き溜めてきた秘密の日記とか、かなわぬ恋を慰めるために夢で埋め尽くすタイプの小説とか、そういうものはそもそも性質が違うのでしまっておいていいと思います。)
絶対にぼろくそにたたいたりしませんし、適当なコメントを2,3行書いて終了なんてこともしません。見せてください。考察させてください。
そして俺の株をあげてフォロワーを増やさせてください。
それでは今後ともよろしくお願いします。